2019年8月の闘い

去年の夏。

入院当初の出来事 

病気の難しさと戦いとナディアトッファ

今年のフェッラゴスト

エネルギー補給とporta fortuna

そう。

去年書いていなかった、次から次へと降りかかった大きな数々の問題。

ヘモグロビンが下がってしまう原因が全くわからず。

数々の検査、ビデオカプセルなどで、腸内の検査をしても、異常なし。

毎日のように輸血をし、鉄分注射もし。

原因究明はできずとも、ようやく、ヘモグロビンが上がり、退院のめどが立ち、退院日のために、ジーンズ、白のシャツ、そして靴を病室へ持っていくと。

主人に、いつものように、

”Ciao”

というと。

主人の目が黄色がかっていた。

まだ医師たちすら気づいていなかったため、医師たちに知らせ。

そこから、日々、肌も尿も黄色に。

ビリルビンが日々、上昇し、20以上にすらなり、危険な状態に。

原因究明のために、超音波検査、CT検査、MRI検査、しまいに肝生検までしても、異常なし。

お酒を飲まない主人のため、肝臓は全く異常なし。

また、同時に、白血病の状態を見るために、骨髄穿刺も。

本人の希望で、すべての検査に立ち会った私。

エネルギーが吸い取られるようで、本人は、命の危険を実感したと、10月に、最後に家に帰ってきたときに、話していた。

何度となく、病室で、一緒に、痛み、苦しみと戦う彼と、夜を共にし。

身体をさすってあげることしかできなかった私。

私が代わりに病気になってしまいたいと、何度となく思った。

戦うことに、まったく諦めなかった、主人。

叔母に、クレーマ(イタリア風プリンのような)が食べたいと、作らせて持ってきてもらったり、あるときは、パンツァネッラ(パンのサラダ)が食べたいと。小さい頃に食べていた、素朴な食べ物が恋しくなっていた。

黄疸という危険な問題だけでなく、同時に、体中が震えだし。

なぜ、神様は、ここまでしてまで、苦しみ、痛みを与えるのだろう。

去年まで、私は、毎晩、祈り続けた。

しかし。

あなたがいなくなった直後から、祈ることをやめた。

神様を信じられなくなった。

あれだけ、毎晩、祈り続けたのに、祈りが届かなかったから。

それは、あなたが、息子を失って、神様を信じなくなった最初の数年のように。

あの病棟。あの病室。

いつもの病棟と違う病棟でもあり。

そして、あなたが入院している間に、同じ病室の人が、二人亡くなった。

あなたは、すべて、見ていた。

それ以降、私に、

”自分ももう退院することできないだろう”

と弱音を吐くようにすらなった。

強く戦いながらも。

病院に入院したのが、8月8日。

あれから、私は、主人のお気に入りの新車、アルファロメオのステルビオで、毎日、病院へ通い。

今は、苦しみ、痛みから解放されて、元気で、私のことを見守っていてくれているはず。

あなたがいない初めての夏。

8月。

去年のあなたの苦しみ、輸血の数、毎朝の血液検査のための、20本以上の試験管。

どんな辛さにも耐え、生きることを諦めなかったあなた。

それは、すべて、私のためだった。

私のためだけに、生きようと、最後まで、最後の最後まで戦ったあなた。

後ろを見るために、書いているのではなく、どれだけ、あなたが、勇ましく、病気と闘ったかを、自慢したいから。

そして、そんなあなたの生きざまを残したいから。








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