2019年10月23日から24日にかけて

 一年前。

2019年10月23日。

最後の悪夢。

去年夏からの長期入院から、自宅に戻ってきて、間もなく。

主人の退院がうれしくて、私の気が緩んだのか、私が風邪を移し、それが原因で、主人が結果的に亡くなってしまったのではと、責任を感じていた。 

10月18日。

主人の熱が下がらず、悪寒、汗を繰り返し。


歩くこともできなくなり、夕方。


まずは、直接腎臓内科の医者と話したく、本人が電話をしたが、医師と話すことができず、救急車を呼ぶ。


私は、自分の車で、救急病院へ向かい。救急車を呼んだことは、今回が2度目でもあり、そんなことを思い出しながら。


病院へ到着。


主人は、すぐに診察室へ。


すると、去年夏にお世話になった女医がいた。


私たちのことを覚えていたため、担当を女医が自ら変え。


主人はいつものように、血液検査、レントゲン検査、心電図。


すると。


以前は、雑談もするほど、にこやかに話していた女医が、主人のいないところで私を呼ぶ。


真剣、そして私に対して親しみ、愛情を持った眼差しで。


一言。


”危篤だから。”


と。


呼吸が苦しく、戦う主人。仕事柄、数字にうるさく、酸素マスクの酸素量も自分で管理をしたく、看護師たちを困らせる主人を、遠くから見ながら、


”残念だけど”


から始まり。


”必死に戦っているけど、身体はウイルスでむしばまれていて、本当に危険な状態だから。”

と。

すぐに、重度の肺炎と言われ。

また、敗血症ともいわれ。敗血症がどのぐらい危険なことなのか、スマートフォンで調べ、すぐに理解し、命の危険を即理解した。

それでも。

命の危険を告げられることには慣れていたため、今回だって、元気になるはずと信じてもいた。

18日から23日まで。

日々、医師たちから、危篤と言われ。そんな中でも、最後の最後まで戦いぬいた主人。

最後の日は、医師からモルヒネを打つしかないといわれ、またモルヒネも効かず、そんな中でも、必死に戦った主人。

そんな主人の姿は勇ましく、かっこよく、誇りに思う。

最後のあの瞬間。

まさか、息を引き取ると思わなかった、あの瞬間。

最後、意識を失い、ゆっくりと天国へ旅立っていった主人。

そんな主人をずっと抱きしめながら、手を握りながら、主人の旅立ちを見送り、その後も主人の身体から離れることができなかった。

夜中、1時半。

あの日も冷たい雨が降っていた。

自宅へ戻る間、そしてそれから数日、主人の血圧や心電図測定のモニターの、最後の音が、ずっと耳から離れず。

その日に限り、普段の道が工事で閉鎖されていたり、家までたどり着くまで時間がかかり。

自宅へ戻り、旅立ちのためのスーツを準備。

それは、主人らしく、そして、一番似合っていた、ベルサーチの黒のスーツと靴を纏わせ。

お葬式までの2日間。

病院の安置室で。

最後の時間をともにした。

それは、主人に対する感謝の気持ちしかなく。

そして、お世話になった病院の先生へお礼を言いに、腎臓内科へ行かずにはいれず。








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